お役立ち・トレンド
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大きな影響を受けた宿泊業界。これからも世界のどこかで感染症・災害といった困難が発生するのは間違いありません。ではそうした未来を見据え、宿泊業界はどう変革をしていけばいいのでしょうか。「いかにお客さんと継続的なタッチポイントを持つことができるかが、ブランドロイヤリティを高める」と指摘するのは、宿泊施設や旅に詳しいライター・こばみほさん。今回は具体例を示しながらタッチポイントの持ち方、ブランドや価値観の浸透のさせ方についてご寄稿いただきました。
皆さんはホテルに宿泊をするとき、何を期待しますか?
快適なお部屋、便利な立地、美味しい朝食……。無数の宿の選択肢があるいま、様々なニーズを満たしてくれるホテルは値段にかかわらず、数多く存在します。良くも悪くも、私たちのホテルへの期待値は高まり、よりハイレベルな空間が求められているように思います。
コンテンツが世に溢れている現代では、いかにお客さんと継続的なタッチポイントを持つことができるかが、ブランドロイヤリティを高める鍵になると私は考えています。
物理的距離が離れていたとしても『そのブランドと関わることで、自分の生活が豊かになる』そんな成功体験を与えてくれるブランドは強いし、思わず好きになってしまうなと、STAY HOME期間を経てより一層感じました。
例えば、ミシュラン一つ星のフレンチレストラン「sio」。
お店を訪れることができないSTAY HOME期間中にレシピのおすそ分けとして、お客さんがおうちで作れるスペシャルなレシピを公開。
おうち時間に寄り添うレシピをネット上で発信することで、お店に行かずともsioの価値観やお客さんへの想いを感じ取ることができる素晴らしい取組みでした。
『生活をより良くしてくれた』という体験は、私たちに不可逆的な変化をもたらすように思います。
そのブランドを知らなかった頃の生活に戻れないように、自分の暮らしにそのブランドのコンテンツが自然な形で取り入れられ、生活の「必需品」になっていく……。
これからのブランドの提供価値をそのように捉えた時、ホテルは一体、どのような価値を提供していけばよいのでしょうか?
数年、もしくは数ヶ月に1度の「宿泊」というタイミングの接点だけでなく、ゲストの暮らしやライフスタイルに寄り添ったブランド作りが、ホテルにおいても求められてきていると私は考えています。
ホテルというプロダクトを提供するのではなく、ブランドの持つ価値観や世界観を、深い体験とともに伝達するための1つの選択肢がホテルである。
そんな風に、ホテルを「メディア」として捉え、磨き上げていくことがホテル自身がこれからも社会に求められていくためには重要だと思っています。
今回は、「アパレル」「食」を起点に、ブランドのメッセージや一気通貫したテーマや世界観を伝える場としてホテルを運営している「メディアとしてのホテル」について、そして、私の会社が実際にホテルで新たに始めた取組みの一部をご紹介します。
岡山県倉敷市児島。繊維のまちとして発展し、国産ジーンズ発祥の地でもあります。そんなデニムゆかりの地にある『DENIM HOSTEL float』は、「泊まれるデニム屋」をコンセプトにしたホテルです。
瀬戸内海を望める、小高い丘の上に建つ古民家。一歩宿へ足を踏み入れると、たくさんのデニムのルームシューズがゲストを出迎えます。
オーシャンビューのお部屋も、ソファなどあちこちにデニム素材があしらわれていたり、ふすまや壁・カーペットもデニム色。美しい藍色の世界に浸ることができます。
こちらの宿は『EVERY DENIM』というデニムのD2Cブランドが運営しています。デニムを基調としたホステルの他にも、アパレルショップ・カフェを併設した複合施設になっています。
EVERY DENIMは兄・山脇耀平さんと、弟・島田舜介さんの兄弟2人で2015年に立ち上げたデニムブランド。ものづくりのつくり手を大切にし、瀬戸内のデニム工場に眠る技術力を引き出しながらオリジナル製品を企画・販売しています。
「生産者の思いを届けたい」という二人の想いが詰まった場所で、自分たちのデニム以外にもこだわりのものづくりをしている人たちのカケラに触れることができます。
例えば、お部屋には岡山県の職人さんが作った麦わら帽子が。(思わず被りたくなります……!)
備え付けの備品やアメニティにも、彼らの想いが表れていました。
タオルは、愛媛県今治のIKEUCHI ORGANICを使用、ハンドソープやシャンプー類は創業90年を超える石鹸メーカー木村石鹸の天然の素材にこだわったラインナップ。
至るところで、ものづくりへのリスペクトを感じます。
「藍色の花びんをみつけたので、贈ります。」
私が滞在している時に、以前宿泊したお客さんからお礼の手紙とともに、花びんの入った小包が届きました。
彼らのものづくりのシンボルである藍色。宿から眺めることができる瀬戸内の藍色。送り主の方は、店先で見かけたこの花びんから、この場所で過ごした時間を思い出し、藍色の贈り物を届けたのでしょう。花びんには早速きれいな花が活けられていました。
彼らの作る空間で過ごしたことによって、ものづくりへの感度があがったり、作り手に興味を持つことができたり……。デニムや藍色の魅力に改めて気づく。素敵な藍色に出合った時、彼らに伝えたくなる。
そんな風に、日々の暮らしをちょっぴり楽しくしてくれる視点を与えてくれる場所であり、宿泊を通じて、デニム兄弟が大切にしている考え方や価値観を肌で体験できる場所だと感じました。
滞在中、ブランドの考え方やデニムの魅力に触れ、すっかり私もファンになってしまい、帰る前にEVERY DENIMのワークウェアを購入。
この服を着るたびに、洗濯で少しずつ味わいが変わっていく藍色に、作り手の気配を感じながら、この場所での楽しかった時間を思い浮かべるだろうな、と思います。
港町である鹿児島県阿久根市にある下園薩男商店。
昭和14年創業で、以来一貫してウルメイワシ丸干しを主に取り扱う会社です。この地域は古くから港町として栄え、ウルメイワシなどの名産地としても知られています。
自社のストーリーをもっと身近に感じてもらいたいと、下園薩男商店が2017年にオープンしたのが「イワシビル」です。
築50年のビルをリノベーションして作られた建物には、1Fショップ・カフェ、2F丸干しのオイル漬け等の工場、3Fホステル3つの施設が。
1階では下園薩男商店の看板商品「旅する丸干し」をはじめ、地元の特産品や工芸品を販売。どの商品もオーナーが作り手の方々を知っているものばかりを集めているそうです。
2Fの工場は、1Fのショップでも販売しているオリジナル商品を製造しているイワシの加工工場。製造過程を、無料で見学可能です。
3Fは全7部屋のホステル。
阿久根の風景を空間に落とし込んだり、漁船で使われる集魚灯や学校で使われていた椅子をリメイクしたり、その地域にあったものに一手間加えてデザインしたそうです。
このビル全体が、会社や商品のストーリーを伝えられる場として機能し、地域の魅力を発信ができる場となっています。
また、その他にも食品メーカーでありながら、イワシビルのスタッフたちが身にまとうオリジナルのワークウェアの開発・販売も行っています。食を扱う会社ならではの視点で、こだわりと誇りをもって作られた、メイドインジャパンのアパレルブランドです。
「着るだけで職人としてのプライドが出るような服を作り、自分達の作り出す商品に自信をもって取り組めるようにしたい」という思いで、国内外の有名ブランドを手掛ける株式会社和興とコラボして企画した商品だそう。
自分たちの事業の枠(水産加工業)というを枠を飛び越え、会社が実現したい未来や世界観を伝えるプロダクトを次々と展開するイワシビル。それらは全て、会社の理念である「今あるコトに一手間加え、それを誇り楽しみ、人生を豊かにする」を体現し、実現するメディアであるといえます。
イワシビルに存在する小さなホステルも、そんな一端を担っています。
私が所属している温故知新というホテルのプロデュースと運営をする会社では、現在3つのラグジュアリーホテルを自社で企画・運営しています。
今回のコロナの影響を受け、緊急事態宣言後は全施設休業となったり、しばらくの間ゲストをお迎えできない状況が続きました。(現在は感染予防対策をしながら、営業を再開しています。)
「直接、対面でのサービスを提供できない」
観光業・宿泊業など、サービス業全体に致命的な、その空間にきてもらえないという状況が発生し、多くの場所が休業を余儀なくされました。
直接ホテルに来て頂けないとなったいま、何ができるか?を考えた結果、現在運営しているホテルのコンセプトでもある「リトリート」をおうちでも感じていただけるよう、ECサイト『Retreat Selection』を立ち上げました。
ECサイト立ち上げの際、社内で、ブランドの目指したい未来や、今の状況でどうお客様に寄り添っていけるかを改めて議論し、ECサイトには以下のように表現しました。
旅の目的地になる宿づくりを通じて、新しいライフスタイルの提案を行います。
「宿は地域のショーケース」
私たちが見立てたその地域ならではの"心地の良いモノ"をきっかけに、日々の生活にも「リトリート」を感じてみませんか?
※ECサイトより引用
ホテルという場を楽しんで頂くのはもちろんですが、たとえ物理的距離が離れていたとしても、私たちのブランドに触れることで、新しい発見やセレンディピティが引き起こされたり、暮らしに取り入れたい“心地の良いもの”に出会う。そんな風に、私たちのブランドに関わった人たちのライフスタイルが豊かになったり、より良いものになったりしてほしいという気持ちを込めました。
立ち上げから約4ヶ月、ホテルで使用しているルームウェアや、ルームシューズ、オリジナルディフューザーなどを販売していますが、想像以上の反響を頂きました。
中には大切な方へのプレゼントに贈ってくれた方もいらっしゃり、私たちが見立てたモノたちが、離れた方の元で大切に使っていただいけていると思うと、これほど嬉しいことはありません。
ECサイトは、私たちの思いやストーリーを届ける1つのメディアとして、今後も運営を続け、更に磨き上げていきたいと思っています。
自然災害やパンデミックなど、避けては通れない困難は、今後も私たちの前に寄せては返す波のように立ちはだかるでしょう。
物理的にサービスを届けることができなくなることは、今後も十分に起こり得ると考えた際に、リスクを分散させるという意味でも「多角的にブランドを強くする」ことが重要だと考えています。
「宿泊という瞬間だけでなく、自分たちのブランドはゲストの生活にどう寄り添い、どんな関係性を長期的に築いていくのか?」
そんな風に考えると、自ずと宿泊という機能を超え、新しいユーザー体験が必要だと感じるはずです。
ホテルという枠を飛び出し、自分たちのブランドの世界観を多角的に伝えていく。その1つの手段がホテルである。
そんなメディアとしてのホテルという新しいあり方を、深く思考していきたいです。
いちホテルの小さなチャレンジかもしれませんが、日本の観光業が逆境に負けず、しなやかにたくましく発展することに繋げていけたら良いな、と強く思います。