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日本では今、人口減少に伴う空き家増が大きな問題となっています。住む人のいない空き家は一律取り壊すべきなのでしょうか。それとも何とか活用方法を探るべきなのでしょうか。この点について、今春世界一周建築旅行から帰国した現役大学生ライター・隆範さんが、イタリアで目にした事例を紹介します。
【第一回】地球一周建築旅を通して見えてきた、日常の中にある“旅”
【第二回】彫刻の意思を感じる、ラ・クンジュンタ―彫刻の家―
全ての道はローマに続いているようですが、僕の旅も遂に辿り着いていました。
ここローマといえば、パンテオンやコロッセオなどはよく耳にしますし、世界の中でも一大観光地とされていますから、訪れたことがある人も少なくないのではないでしょうか。
この街を歩いていると、想像し難いほど昔から建っている建築を多く見かけ、時折紀元前の建物を見つけることにもなるのですが、紀元前と言われても想像し難いものです。
現存する日本最古の建築であり、私の名前の由来でもある法隆寺は607年とされていますが、例えばこの「エルコレ・ヴィンチィトーレ神殿」は紀元前2世紀に建てられていて、「ポルトゥヌス神殿」は紀元前75年の創建。
そして、この「トッレ・アルジェンティーナ広場」の柱が立っている辺りは紀元前3世紀頃の遺跡と言われています。
うーん、そんなにも昔の年代を言われてもピンときません。
しかしながら、建築の保存というのは世界的に研究されているテーマで、僕も大学では建築史を専攻したのでよく分かるのですが、建物を残すというのは決して一人では為し得ません。そして、置いておけば自然と残るようなものでもありません。建築の年齢というのは、後世へと残せるように人間が働きかけた年数なのです。
では、僕たちはどうすれば良い建築を残していけるのでしょうか。僕がローマで感銘を受けた建築を取り上げながら探っていこうと思います。
今回紹介したい建築は、ローマの街を散歩中に見つけた「オッタヴィアのポルティコ」です。突然現れた摩訶不思議な建ち方に驚愕したのですが、まずは写真を見てみてください。
これを見て違和感を感じた方は、なかなか鋭いのではないでしょうか。
発見は常に違和感から始まり、連鎖していくものです。
神殿は基本的にシンメトリー(左右対称)なものです。子供に家の絵を描いてもらうと、三角屋根に窓がついた絵が出てくるように、あるモチーフに対するイメージは形式化していきます。それも長く受け継がれたものであるほど顕著に。
しかし、このオッタヴィアのポルティコはどうでしょう、見事なアシンメトリー(非対称)です。それどころか、左は柱で右はアーチという全く異なる形式で、使われている素材も違いますよね。
加えてポルティコというのは、例えばこのパルテノン神殿の前面のように、列柱で囲われた玄関ポーチのような部分を指すのですが、このオッタヴィアのポルティコは屋根もありません。
言うまでもないですが、現在目にしている姿は新築時とは異なる姿をしていました。
オッタヴィアのポルティコは、紀元前146年に建てられた神殿の一部です。当時はローマで初めての総大理石の神殿だったそうですが、紀元後の80年と203年に火災があり、442年の地震を経て、現在のような姿へと変化したようです。
さて、改めてオッタヴィアのポルティコに近づいて見てみると、大理石の柱がぐるりと鉄で補強されていますし、大理石のアーチがレンガに挟まれて浮いていたりと、継ぎ接ぎだらけの建築だということが分かると思います。
しかし、僕はこのレンガと大理石の緊張感のある関係性に目が奪われてしまいました。
異なる素材が長い年月をかけて、同じ雨風にあたりながら、融合も拒絶もしないギリギリのところで調和しています。
本来は強い形式を持つはずのローマの建築が、独自の文脈で分解されて再構築されているのが伝わるでしょうか。
「どうして元の姿に戻さないの?」という疑問もあるかと思います。建築物の保存・修復について国際的に文書として示された「ヴェニス憲章」を少し見てみると、以下のような記述があります。
つまり「歴史的な証拠として、修復した痕跡が見て分かるように示しましょう」というようなことが書いてあります。
例えば、もし壊れたからといってどこかで採ってきた大理石で修復をしていたら、それから二千年後の人が見た時に、どこがオリジナルなのか分からなくなりそうですよね。
建築はそもそも、新築時が最も価値が高いとは言えません。その場所で誰が何をして、どのような苦難があって、それをどう乗り越えたのか。そのストーリー自体にもやはり価値があるのです。
ですから、どの時代の建築の姿に向かって修復するのかということも、慎重に考えることになります。
歴史的な建物を見て、多くの方が完成直後の「本物」の姿を想像するでしょう。しかし修復された歴史が刻まれている今の姿もまた「本物」なのです。
例えば、継ぎ足し継ぎ足し受け継がれた料理屋秘伝のタレは、最初にツボに入れられた瞬間も今も、どちらも味わい深いでしょう。しかしながら、歴代の店主が丁寧に形式を伝えたからこそ、そのツボの中で奥行きが生まれるのであって、新しいツボに同じレシピでタレを作ったのでは、本物の味とは言えないのです。
日本は高度経済成長を経て、膨大な建物のストックを抱えてしまいました。作るにも壊すにもコストがかかる中、現代は戦後最も継ぎ接ぐことを意識している時代です。転用したり、用途を変えたりすることを多くの人が望み始めました。これを成長が止まったと暗くなるのではなく、継承が始まったことを誇りに思うべきです。
リノベーションや再生計画が活発に行われているのは、日本の土地そのものの価値が上がる兆しです。美味しいタレを秘伝のタレにするのは、二代目からなのですから。
オッタヴィアのポルティコはそのようにして、神殿という形式を超えた力強い姿を見せてくれました。
本来、シンメトリーの姿は威厳をもたらします。完成直後の総大理石は輝かしかったことでしょう。しかし、崩れても立ち上げられた継ぎ跡が、尊厳を纏って形を成した時、オッタヴィアのポルティコの「本物」の姿がパラドックスに現れたのです。
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